コーエンの強制法と連続体仮説の否定モデル 第5/11章




証明の第1ステージ。
この章では「演算と言う概念」について
理解を深めます。



まずは例文として
 「計算式『3.1 − 2.6』の答えは0より大きいか」
を考えます。

最初に私たち人間、
小数が使える立場の住人から考えます。

小数を知ってる私達にとっては簡単すぎる問題です。
そのまま、
 「3.1 − 2.6=0.5。 よって答えは0より大きい」
と明示的に答えを計算して、
答えればいいだけです。


いっぽう整数世界に住む住人にとっては
整数しか使えません。
彼らは整数以外の数字は認識できないので
「3.1」も「2.6」も意味が理解できません。

彼らにとっては問題文は
 「計算式『α − β』の答えは0より大きいか」
のように見えてます。
(3.1と2.6が見えないので文字化けのようになる)


そして、もちろん彼らには答えを答える術がありません。
何しろαとβが実際何の数値であるかはわかりませんので。


もし例文が
 計算式『1.3 − 4.5』の答えは0より大きいか」
であったとしても整数世界の住人には
 計算式『γ − δ』の答えは0より大きいか」
のように見えます。

α、β、γ、δ。
彼らにはこれらの記号が実際なんの数値であるかはわからないので
答えられません。



って、これどうしろと・・・・
・・・・・
・・・・
・・・ところが!
そんな彼らにも限定的ながら答えを返す方法があります。

それが以下の論法。
整数界の住人の模範解答

 1)もしα>βならば、『α − β』の答えは0より大きい
 2)もしα<βならば、『α − β』の答えは0より小さい
 以上2ケースの内のどちらかが成立する。
 ただし我々はαとβの値を知らないのでどちらのケースかはわからない

と答えます。
(α=βのケースはないとします。もし数字が同じなら、整数界の住人にも「意味はわからないけど同じ文字=同じ数字だ」って事はわかりますので)


とは言え結局はケース1)〜2)のどちらが正解かは
αとβの値を知らない彼らにはわかりません。

仮に人間が、整数世界の住人に「α=3.1、β=2.6だよ」と教えてあげたとしても
小数の概念を理解できない彼らにはとっては3.1と2.6のどちらが大きいか
わからないので
 3.1>2.6なの? それとも 3.1<2.6なの?
も判定できず
結局は正解を答える事はできないのですが。(^^;

しかーし!
ここ重要。
彼らが返したこの答えは、実は大変有意義な事なのです。

 答え1:

『α − β』の答えは0より大きいか、わからない


 答え2:

 『α − β』の答えは、
 1)もしα>βならば、『α − β』の答えは0より大きい
 2)もしα<βならば、『α − β』の答えは0より小さい
 以上2ケースの内のどれかが当てはまる。
 ただし我々はαとβの値を知らないのでどちらのケースかはわからない


この二つの答えにある「わからない」 は
重要な違いがあるのです。


どこが違うのかを説明するために一旦「α − β」から離れて
別の例を考えます。

例文

 連立方程式
 4=x+α
 5=y-x
 について、xとyを具体的な数字で答えなさい

と言う問題があるとします。

※後に言及しますが、(意図的な)問題の不備がありこの方程式は解けません。


もし仮に、私がこの問題を即「わからない」と答えたとします。
その場合の「わからない」は、
 「連立方程式の解き方がわからないから、xとyの値を答えられない」
から来る「わからない」です。

ところが一方、もし連立方程式の解き方を知っている人ならば
式を変形して
最初の式から
 x=4-α
を得、
 5=y-x に x=4-αを代入して
 y=9-α
よって
  「答えはx=4-α、y=9-α。ただしαの数値が知らされていない以上、xとyの具体的な数値はこの場では『わからない』」
と答えるでしょう。

前者の『わからない』は「連立方程式の解き方」が『わからない』と言っています。
後者の『わからない』は「αの値を知らされていないので、これ以上は計算できない」ので『わからない』と言っています。

実は使用している本質的な意味が違うんです。
後者の方が理解度は上で、問題を可能な限り解いた上で、問題の不備を指摘しています。
もしαの値を知らされたら、後者さんはすぐに答えを返すでしょう。一方前者さんはまだ答えられません。


それと同じで、
さきほどの  答え1

  『α − β』の答えは0より大きいか、わからない


 答え2

 『α − β』の答えは、
 1)もしα>βならば、『α − β』の答えは0より大きい
 2)もしα<βならば、『α − β』の答えは0より小さい
 以上2ケースの内のどれかが当てはまる。
 ただし、我々はαとβの値を知らないのでどのケースかは、
 わからない

に関しても
前者の『わからない』は「どうやって解けばいいかのわからない」の『わからない』。
後者の『わからない』は「解き方はわかっているが、αとβの値を知らされていないのでこれ以上は計算できない」の『わからない』
になります。

後者の方が理解度は上で、問題を可能な限り解いた上で、問題の不備を指摘しています。
もしαとβの値を知らされ、そして意味を理解できたら後者さんはすぐに答えを返すでしょう。一方前者さんはまだ答えられません。



えっ。凄くうさんくさい?信じられない?
それは確かにごもっともなのですが・・・^^;

ところが実際にやってみればわかるのですが:
  α=45870476.873543
  β=87231098475.786341
と置きましょう。

この時、『α − β』の答えを出すのはそこそこ難しいです。少なくともパッと答えるのは無理。
ところが『α>β ?』に答えるのは簡単です。
なぜなら、(桁数の違いからして)明らかにβの方がαより大きいからです。よって『α>β ?』は即答で×。

問題『α − β』よりも問題『α>β ?』の方が簡単なんです。
だから『α − β』問題を『α>β ?』問題に置き換えた後者さんの方が
より優れた答えになっているわけです。



・・・・これ凄い事。

整数界の住人にとっては問題文
 「計算式『3.1 − 2.6』の答えは0より大きいか」
における「3.1」および「2.6」の存在を認識できていません。

なので、答えは結局わかりませんが、
それは問題の数字が読めないの方に不備が有ったためであって
整数界の住人が悪いわけではないのです。

彼らは
 『α − β』の答えは、
 1)もしα>βならば、『α − β』の答えは0より大きい
 2)もしα<βならば、『α − β』の答えは0より小さい
 以上2ケースの内のどれかが当てはまる。
 ただし、我々はαとβの値を知らないのでどのケースかは、
 わからない

と答える事できちーんと問題を(本質的には)解けているのです。



同様に、「割り算」などの小数ありきの演算も
整数世界の中で定義できてしまいます。

例題:
 「計算式『9 ÷ 2』の答えを求めよ」

我々人間には9 ÷ 2 = 4.5により計算できます。
なぜなら小数の扱い方を知っているからですね。

ところが整数世界の住人は小数を認識できませんから、
答えに小数を出してくる割り算自体がNGの存在。
彼らの概念の外にあります。

なので彼らに割り算はできない・・・・のですが、
それでも
1)9 ÷ 2の答えは1より大きくて2より小さい数である可能性
2)9 ÷ 2の答えは2より大きくて3より小さい数である可能性
3)9 ÷ 2の答えは3より大きくて4より小さい数である可能性
・・・・
などとやはり
彼らの世界の中で、答えがどうなるかを
有る程度の範囲で可能性として論じる事はできるのです。
(どれが正しい答えなのかは彼らにはわかりませんが)

この時点では「4より大きく、5より小さい(かも知れない)」が精度の限界ですが、
その気になれば
1)9 ÷ 2の答えは40÷10より大きくて41÷10より小さい数である可能性
2)9 ÷ 2の答えは41÷10より大きくて42÷10より小さい数である可能性
3)9 ÷ 2の答えは42÷10より大きくて43÷10より小さい数である可能性
・・・・
などさらなる近似も可能です。

彼らには40÷10などの数字は読めていません(割り算を知らないので)。
けっきょくは
x)9 ÷ 2の答えは33÷27より大きくて8721÷397より小さい数である可能性
x)9 ÷ 2の答えは8975÷321847より大きくて3498÷7597より小さい数である可能性
x)9 ÷ 2の答えは1578÷8324より大きくて35÷678321より小さい数である可能性
のようにありとあらゆる可能性(意味の通じない物も含めて)を無差別に羅列しているだけです。

だがしかし、片っ端からやっていけば中には「正解を含むシステム」が
確実にいくつかは入っている事になります。

どれかはわからないが、正解はこの中にあるのです。

正解があると言うこと、それは
演算が正しく定義できている事を示します。



計算のルール自体は
小数界に住む我々人間でも
整数界に住む整数住人でも共通なので、
やろうと思えば整数界の住人でも
小数の計算問題を
(仮定を交えながら)理論的には解く事が出来たのです。


・・・なんだか屁理屈に思えるかも知れませんが^^;
あくまで例え話なんで
そんな物として納得してください。
(実際の数学では厳密に証明します)



コーエンが示した
「ω0とω1の中間に無限はある」
も原理的には同じような事です。

整数界の中にいる整数界住人にとっては数と言えば
0、1、2・・・(それとマイナス整数)
のみです。

1 < x <2
のようなそれらの中間に位置する数は
作れませんし、理解もできません。

だがそれでも、彼らは彼らのできる範疇内で、
『α、βを小数とする。αとβの値が何であるかはわからないが、もしα>βならばα−βは0より大きい』
のように仮定→推論→結論で小数の世界の法則を言及する事ができます。
(ただし本当に小数世界の中でα>βが正しいかは彼らにはわからないので、最初の仮定が成立するとは限りませんが)


それと同様。
ZFC公理体系の中にいる我々人間にとっては無限と言えば
ZFC公理から作ることができる
 ω、2ω、22ω・・・
無限のみです。

ω < k <2ω
のようなそれらの中間に位置する無限は
人間には作れませんし、理解もできません。

だがそれでも、我々は我々のきる範疇内で、
『α、βを中間無限kの中にある要素とする。αとβの値が何であるかはわからないが、もし『仮定S』であるならば「結論T」が成立する』
のように仮定→推論→結論でkの世界の法則を言及する事ができます。
(ただし本当にk世界の中で仮定Sが正しいかは我々にはわからないので、最初の仮定が成立するとは限りませんが)



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