数学界に大論争を呼んだ選択公理(1/2) 2015/01/12




数学に「選択公理」と言うのがあります。

これはZFC公理体系、すなわち現代数学を支える
大黒柱の一本とされるほどの超超超重要な公理です。

しかしながら

 「・・・・もしかしたら選択公理は矛盾を含むかも(しれない)。危ないからしばらく選択公理の使用は禁止

との疑惑が勃発し、

 「選択公理は採用するべきだ/しないべきだ」と

過去の数学界を真っ二つにするほどの大論争を呼びました。


ちなみにZFCのCはAxiom-of-Choice。すなわち選択公理。
Cだけ最後にちょこーっと付け加えられてるのは
この争いに争って、
ZFが基本だから。使いたい人だけオプションで選択公理を使えばいいよ」って事になったからです。^^;

数学の大前提ZFC公理体系の名前に
傷跡を残したぐらい、
大変ないきさつのあった公理です。

それを解説します。
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さて、「選択公理」とは 「与えられた集合の族に対し、各集合から適当な要素一つを選択し、新しい集合を構成する事」です。

もっと正確に言えば、「選択関数の存在」、
および「選択関数からは矛盾が引き起こされない事を数学的に保証する
事を言います。


選択公理の例:
 入力S={ {A,B,C,D,E} , {い,ろ,は} , {α,γ,ζ,δ} }
   ↓
 出力D={A,ろ,δ}

このように入力集合Sの中から要素を1つ選び、それらを集めて出力集合Dを作ります。


さて。
選択公理自体は「自明」なんですよねー

いや。
どうもこうも。

 入力S={ {A,B,C,D,E} , {い,ろ,は} , {α,γ,ζ,δ} }
   ↓
 出力D={A,ろ,δ}

あまりにもシンプルすぎて、いったいこのプロセスのどこに文句のつけようがあるのかってぐらい自明。

強いて言えば結果に一貫性がない、どのメンバーが選ばれるのかわからないってのがフワフワとしてる。
数学的には関数の定義(関数の定義:入力→出力へのマッピング。結果は一意的。)を満たしてないのは不安に感じますが。

しかし選択公理は
 『どのような選び方をしたって、その後には結果的に全く同じ現象が発生する
ような状況にのみ使われるので
選ばれ方はどうでもいいんです。

どうしても気になるなら「選択には最小のメンバーを選ぶ」とでも勝手に決めればいいし・・・
ま、そこは議論の本質ではないです。


選択公理のヤバい所は・・・縦↓じゃなくて横→の方なんですね。^^;


例えば:

 入力S={ {1,2} , {3,4} , {5,6} , {7,8}・・・・・・ (→ 横方向には無限の広さがある)
のように実数を2つの数字の組に分けた集合を考えます。

ここに選択公理を適用すると
 入力S={ {1,2} , {3,4} , {5,6} , {7,8}・・・・・・
  ↓
 出力D={2,4,5,8・・・
のような、Sを入力に取りDを出力に取る集合が出てきます。


・・・これが、実はヤバい。(汗)

と言うのも
選択」と言うのは1つの動作であるわけです。
入力Sは無限の要素を持っていますから、
それに入力S→出力Dを作るには
「選択」を無限回行わなければいけない。

それは果たして可能であるのか?


しかし普通に考えたら
いや、その論点は実にくだらない。選択など人間の主観にすぎない。数学的な選択にかかる時間は0なので、無限回の選択を行っても
 かかる時間は0×∞=0。
 無限回数の選択を瞬時に行い入力S→出力Dを作る事には全く問題がない


との反論がすぐさま飛んでくるのは予測できます


・・・いや、それはごもっとも。私も全面的に同意し、その上で申しあげます。m(_ _)m

なぜ私が選択公理に対してそんなケチ(選択は有限の動作。無限回の選択を許す事は怪しい)を
今つけてるかって言われたら

以前にも紹介した
 「面積の測れない不思議な図形」や
 「バナッハ=タルスキーのパラドックス」など

「数学的にパラドキシカル(に見える)な結果を含む
研究と言うのは、
まずほとんど選択公理が使わてる
」んです。

数学界の問題児。
何かきな臭い、異常に見える事件が起こった時は確実に選択公理が使われてます。


うん、だからねー。
問題はそんな簡単じゃないんですよ。(´・ω・`)

選択公理は
過去に何度も「パラドックスか!?」と思われる事件を引き起こした
前科がある以上、
本当に、
本当に「無限回の選択を行う」行為と言うのは許されるべき行動なのか、
よくよく考えてみないといけないんですねー。(´д`;


ちなみに前述の
 「面積の測れない不思議な図形」や
 「バナッハ=タルスキーのパラドックス」など
の問題は数学的には無問題。パラドックスは起きてないとされています。

その理由は主に測度論の可測性によるもので、
面積について「可測性を満たす図形のみに面積を考える事は許される」として
集合を限定してるからです。

いわゆる紳士クラブ。

面積をこねくりまわしてパラドックスが起こる、もしくは起こらせるような
特殊な集合については「可測性を満たしていない」
として測度論の外に押し出し、中の秩序を守る事で「可測性を満たす」範囲内では
矛盾のない理論を組み立てて平和を守っているからです。



本当にヤバいのはこの後なんですねー
今みたのは氷山の一角。
問題はもっとデカい。

選択公理とは
 「『無限回の選択を行う』と言う行為は、本当に許されるのだろうか?

レベルの話ではなく、実は

 「選択公理とは『無限回を超える回数の選択を行う』行為
を許してしまう事だと気づく。

これまた以前にも解説しましたが、
無限にも種類と大きさのランクがあって
一番小さい無限が可算無限ω0。実数の数と同じです。だから1、2、3・・・と数えてれば∞には到達はできなくとも、
だんだんと∞には近づいてゆくし、「任意の数以上」までは近づける。
ぎりぎり数えれる範囲。

ところが次の無限ω1は非可算。
1、2、3のような数え方では永遠に到達不可能なサイズ。

ここで「選択=1つの動作」説が出てくるわけです。
つまり「選択=1つの動作」として解釈する限りはω1回の選択と言うのは絶対に出来ない。
仮に0秒で1選択を終えたとしてもω1回の選択は完了しきれない。


こうなってくると人間的に考える「選択」としては不可能な動作になってくる。

もっと、
ω1サイズの集合を格納&把握し、
 ガシャーンと1動作でω1サイズの集合を出力する
「ω1サイズ選択」とも言うべき別の動作と考えた方がいい。



人間と言うか数学の証明自体が、1行+1行+1行+1行・・・の積み重ね。
可算な行為であるで・・・・
ここを逸脱して
非可算の領域まで扱える能力を持つって実はちょっとヤバいんじゃないかと気づいてくる・・(´д`;


いや、と言うか
選択公理は
その気になれば到達不可能基数回数に対してだって選択を行ってしまいます。

・・・あああ。これはヤバい。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


瞬間的にわかりますわ。
顔から血の気が引いてフリーズします。

問題が異次元レベルすぎて、YESなのかNOなのか予想がつけられないし、微塵もできる気がしない。


選ぶって事は、
集合の中の要素を全て一回通って、その中から選んでくるわけですからー。

人間は到達不可能基数に到達できません。(名前の通り)
その未知の対象、人間の能力を超える基数を相手に
選択公理は到達不可能基数回数でも選んでみせると豪語しておるわけで。


実は到達不可能基数を超えるサイズの理論もあって、「巨大基数」と呼ばれてますが
選択公理はそいつらさえも問題なしに巨大基数回数の選択を行う事ができる。


・・・・いや、この能力は本気でヤバいでしょ。^^A;
敵を限定しない、どんな奴が相手でもその中を全て通って選択してくる演算能力があるってのはあまりにも強力すぎる。


俺はどんな奴にも勝てる」とか言っちゃったら
「自分より強いのか? → 強くても弱くても引き分けでも矛盾」
みたいな形のパラドックスが起きる可能性がある。

だから「誰が相手でも」みたいに完全無条件にしちゃうのは危険だし、
その対象を自分に向かると矛盾が発生しやすい
典型的な激ヤバルート。

だから選択公理はヤヴァい。相手のサイズを限定しないってトンデモチート能力を与えてしまっている。


が!
その一方で。
選択の原理自体は自明で
選択行為に問題があるとは思えないし、
「横の対象が無条件に広すぎる」事を除けば
一般的には選択公理を採用する方が
数学的にリッチ、およびナチュラルな形になる。

と言うか逆に選択に条件をつけてしまうと
「今議論してる事は選択条件違反に接触していないか」常にチェックしなければおらず
今後の議論が大変面倒になる。

だから問題がないなら選択公理は有効としておいた方がいいのもまた事実。


本当に分からないので
とりあえず、数学界全域に通達ぅー。選択公理、および選択公理に依存してる定理は使わない事。
 もし今後、選択公理に矛盾が見つかったら公理から取り下げる事になって研究が全部パーになるので非常に危険です。
 使う時は自己責任で。
」と
って私でもサーキットブレイクかけてたでしょうねー。(^_^;

幸い選択公理が使われる範囲は狭く、
一般の数学を行ってる限りはまず呼ばれる事はありません。
禁止してもなんとかなりそうな状況だったので。

次回に大騒動の続き。

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