ぼやき
「不完全性定理について(2009/05/29)」
最近公開されたアニメ涼宮ハルヒの憂鬱の新作エピソードで長門が
「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できないから」と喋っていて
ちょっと気になったので説明してみたいと思います。
これは数学で言う「不完全性定理」と呼ばれる理論で
結論から言うと確かに「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できない」の
事であり、
ええ確かに正しいです。
ここは私の好きなジャンルですしちょっと説明してみましょうか。
(逆に最近話題になったポアンカレ予想とかあっちのジャンルはさっぱりわかりません。
空間が絡む物は本当に苦手です。幾何学も無理無理。本気でできない自信あります。
小学校の頃でも「角度」の概念に他の生徒より戸惑ってた記憶があって
昔から立体や空間などに対する認識力は一般人より多分劣っていました。^^;)
さて数学で言う「公理」とは「証明なしに成立すると約束された」超基本ルールの事です。
例えば「全ての実数はプラスか、マイナスか、または0である。」みたいな。
・・・当たり前ですね。
誰がどうやって反論出来るのでしょう。
少なくとも私はプラス、マイナス、0以外の実数はちょっと考えられません。
またあまりにも当たり前すぎて「自明」と言うほかに証明する方法も思い浮かびません。
これが大事。あまりにも単純すぎて自明。これ以上は遡りようがないので
「よし!」としてしまう数学の一番基本ルールです。
逆になにが公理ではないかと言うと例えば
「全ての実数は二乗すると0またはプラスである」のような事柄です。
これも自明に近い事柄ですが公理ではありません。
なぜならこれは上記の公理、「全ての実数はプラスか、マイナスか、または0である。」を使えば
1.公理:全ての実数はプラスか、マイナスか、または0である
2.展開:・プラスの場合 → 二乗したらプラスになる。
・マイナスの場合 → 二乗したらプラスになる。
・0の場合 → 二乗したら0になる。
3.結論:全てのケースを考慮して実数は二乗すると0またはプラスになる事が証明された。
このように他の公理で証明できる物は公理ではありません。
公理的集合論とは数学を分析し、分解し、全ての理論を遡ってゆくと
最終的にどのような公理が残るかを調べるジャンルと思ってください。
現在では一般的にZFC(Zermelo-Frankel+選択公理)と呼ばれるシステムがメジャーで
数学におけるほぼ全ての基本的な事柄は僅か9つの公理に還元される事がわかりました。
(注:あくまで基本的に。数学の各専門ジャンルに入ればいくらでも追加される公理は出てきます。)
(さらに注:実際は歴史的背景により後で追加されたりして多少内容の重複した公理もあるので
スリム化すればあともうちょっと減らせますが意味的にもわかりやすいので通常は9つとします。)
少なくとも自然数・小数・実数・複素数、そして四則演算、集合論など
数学を構成する基本理論は全てはこの9つの公理からの派生であり
たった9つの公理から全ての理論は発展してゆくのです。
・・・・だがそこに疑問が。
果たして、その土台は安全か?
おそらく各個別の公理はあまりにも自明すぎて絶対に正しい・・・と思われます。
それはほぼ疑いようがありません。(なぜなら自明すぎて)
ただしかしそれら公理を複数組み合わせて何百万・何千万・何億回も
寄り合わせて展開し複雑な理論を形成して行った時に
どこかで「あっ! 公理Aと公理Bは矛盾する内容を含んでいた!!」のような事態が発生するかも知れません。
各公理がそれぞれが正しいとしても
各公理間で矛盾した内容が含まれていないかは別の問題なので
実はけっこー危ういのです。
もうちょっと注意深く研究を進めなければなりません。
よってZFCが確立された後は次のステップとして
ZFCシステムの無矛盾性の証明に数学者達はとりかかりました。
これが発展して数学史上最も偉大な発見の一つと思われる(個人的ランキング)
「不完全性定理」の発見に繋がりました。
長くなりそうなので残りは次回に。(^^;
「不完全性定理について2(2009/05/30)」
(以前の続きから)
さて次の命題としてZFCシステムの無矛盾性の証明に数学者達はとりかかりました。
ただこれがもの凄く難儀な作業。
なにしろZFCの9つの公理は数学の最も基礎であるもので、これ以上後ろに
下がりようがないので
「ZFC、すなわち基本9つの公理間がお互いに矛盾しない事の証明」自体を
同9つの定理の中から行わなければなりません。
例え話をします。
私が「私は嘘をついていない」と言うとします。
これは果たして本当に嘘をついていないのか、
または嘘をついた上で『私は嘘をつかない』と言っているだけなのか
他人にはわかりませんので
今もの凄い懐疑の眼で見られています。
そこで私は私自身が私の言明の中で
「私は本当に嘘をついていない」事をなんとか他人に納得してもらわなければなりません。
本当にそんな事できるんでしょうか?
「私は嘘をついていない ← なぜなら○○だからだ!」
と言い出しても○○の部分が嘘か本当かどうかわからないので
これでは証拠になりません。
次に
「○○は本当だ ← なぜなら△△だからだ!」
と言い出しても△△の部分がまた嘘か本当かわからないので
これも同じく証拠になりません。
この手順でいくら新しい□□を取り出して弁明を続けてもキリがありません。
かと言って
「△△は本当だ ← なぜなら私は嘘をついていないからだ!」
などと最初に戻ってループしても最初の言明の真偽が不確かなので
これも無効となりさっぱり埒があきません。
・・・悪い予感がしますね。(^^;
永遠に堂々巡りです。
むしろこんな泥沼な状況で「自分自身の正しさを証明できてしまう」方がおかしいんじゃないでしょうか。
その通り!
「自分自身の中から、自分自身の正しさを証明できる」ような自己完結的な論法はないんです。
ゲーデルと言う数学者がこれを厳密な形で数学的に証明し、
そして「不完全性定理」を提示しました。
不完全性定理によれば
「もしある公理集合Sが存在し、Sの中からS自身の無矛盾性の証明を行えたなら、Sは矛盾を含む。」
が成立します。
これの対偶を取れば(「A→B」の対偶は「否定B→否定A」。元の命題とその対偶は同価値で真偽は常に一致する。)
「矛盾を含まないSは、Sの中からS自身の無矛盾性の証明を行えない。」であり
これがずばり長門の言っていた
「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明できない」の事です。
悲しいかな。(+_+)
儚くも数学基礎を絶対にするZFC自己完結無矛盾性証明の夢は破れました。
(当たり前ですが)数学の基礎として使える公理体系は矛盾を含んでいてはなりません。
皮肉な事にもしZFCが数学の基礎として通用する、すなわち矛盾を含まない完璧な理論であるなら
不完全性定理によりZFCは己の無矛盾性証明を原理的に証明できないと
証明されてしまったのです。
(仮にできてしまったとしたらZFCは矛盾を孕むのでその瞬間ゴミと化します)
なので現在の数学界ではZFCが数学全ての基礎となる大前提の公理とされながらも、
ZFCのどこかに矛盾をはらむかどうかは今もってしても誰にもわかっていません。
(いや、証明する方法がないわけではないです。
しかしそれにはZFCより強力な公理体系、仮にZZZとでも呼ぶ物を持ち出せば
ZZZの中からZFCの無矛盾性は証明できます。
でもその場合に今度はZZZの無矛盾性証明が未完了になり、
ZZZの無矛盾性が証明されない事にはZZZ→ZFCの証明も本当に正しいかわからないので
問題を一つ外に動かしただけであまり意味がないんですね。(^^;
じゃあ新しいZZZZZを持ち出してZZZZZ→ZZZを証明しても、今度はZZZZZの無矛盾証明が未完了になり・・・はわわ)
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最後に誤解のないようにちょっと弁明しておきますが
ZFCの無矛盾性が証明されていないからと言って
ZFCが無意味、または今の数学に意味がないって事ではありません。また。
ZFC無矛盾性の証明がZFCの中からは書けないだけで、
ZFCの無矛盾性の真偽とは別の問題です。
あくまで人間に証明されていないだけで、(神の立場?から見て)それでも依然正しい命題という物は存在します。
ZFCが正しい事は証明されていません。
しかし同時に間違っている事も誰も証明していません。
結局の所真偽はまだわかっていないグレー状態ですが
世界中の全人類が何千年かけて数学を学んでもいまだ誰一人として矛盾を発見していない時点で
99.999999999999999999999999%白と言えるでしょう。
おそらく無矛盾です。少なくともいまの所。
ある日誰かがZFCのほころびを見つけて「矛盾が見つかったぞ!」と声高々に叫べば
ZFC・数学の全てが突然として崩壊しますが
その日がいつ来るのか、または永遠に来ないか誰にもわかりません。
今までに勉強した事を全て修正する面倒な事になるので
個人的な気持ちとして来ないでくれと私は願いたい物ですが。(^^;
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